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2005.05.13 Friday
報道倫理
昨日、読売新聞が尼崎の電車脱線大破事故に関する自社の記者の態度に関して、大阪支社社会部長名で談話を出した。
感情的に、取材する記者を管理者としてわびるという内容であるが、今のマスコミの取材のありかたを改めて問うことになったと思う。 昨今の事故報道を見ていると、電車事故云々より何人宴会をやったとか、ボーリングをやっていたとか、重箱の隅をつつくような報道がおおすぎやしないか。 私のように幸いまわりにこの事故の被害を受けた人がいないような人間にとっては何とも思わず見ていられることだが、実際に事故にあわれた方の心が、ただでさえも乱れているところをさらに掻き乱し、パニックに近い状況に追い込まれていると思う。 報道する人間は、今一番必要なことは何だと思っているのだろうか? JRを叩けば、確かに視聴率や読者が一時的に引き寄せられるだろう、しかし、電車を見ただけで恐怖心を持ったり、このニュースを見るだけで嫌になる人がたくさんいるはずだ。そういった人たちをどう思っているのでしょうか? 取材するのは結構ですが、もうちょっと被害者が落ち着いてからでよいのではないのでしょうか? しかし、談話はこう締めくくられている。 『脱線事故報道では今も、社会部などの記者70人前後が取材を分担、遺族らの声に耳を傾け、事故原因やその背景など、惨事の真相に迫る努力を続けています。引き続き全力で取材に取り組みます。』 被害に遭われた方の心が落ち着いたととても言えない状況で、被害者の気持ちをいかに助けてあげようとするのではなく、さらに心を掻き乱そうとすると宣言している。しかも全力で… こんなんでいいんかな? |
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