かわらさんのブログ

かわら(香春)さんの徒然ごとを書いたブログ
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グリーン車
この冬から青春18切符でグリーン自由席に乗れるようになったのも今回の動機。
グリーン車は初めて乗るが、111系グリーンが今年中に廃止になるようなので、今のうちに乗っておきたいと思っていた。
111系グリーン車とは総武横須賀、湘南新宿、高崎・宇都宮線に走っている2階建てグリーンとは違い、1階建てのグリーン車である。外観がかぼちゃ色でシートも赤色と何か伊豆の大正チックなイメージが、個人的にあり乗ろうと思ったのである。

伊東でそんな車両に乗る人は0人で貸し切り状態であった。
車掌さんが日の向きが変わるたびに、ブラインドをおろしてまわっていたのは滑稽だった。
さすがグリーンである。

その後、熱海でアクティに乗換2階建ての2階で東京に向かった。
根府川付近で景色がいいなぁと思っていたのだが、同じ車両に乗っていたおばはん軍団が超うるさく、不快であった。
携帯電話も確かに迷惑だが、おばはんの存在も実に迷惑である。

その後神奈川新町であろうか、グリーン車なのに、某並行私鉄に悠々と抜かれてしまった。
やはりグリーン料金を払っていると抜かれるとむかついてしまう。

その後品川からやはり快速グリーンで帰らせていただいた1日でした
| kawaramachi | Trains | 23:04 | comments(0) | - |
旅行
人生、何もかも嫌気がさしてきたので、旅に出た。
遠くまで行きたかったが、天気も悪いし、そもそも関東以北は雪があるので伊豆に行ってみた。



まず、最初に今日が1月17日、兵庫県南部地震が発生した日であるから、やはり地震遺跡を見に行こうと言うことで、小田原から2駅行った根府川駅で降りてみた。

ブログでは難しいことは書かないことにしているのであるが、今となっては想像を絶するような被害があったことを実感できた。

ここの駅は東海道線の小田原から2駅というのに、無人駅。
なのに、何故か電車は15両編成でやってくるという変テコな駅である。
いちおう、Suicaは使えるが、自動改札はなく、磁気式のイオカード(もうすぐなくなる)は使えない。また駅舎は木造というなんとも味のある駅である。

その後、伊豆高原大室山に登ってみようと、伊東線を南下した。
普通大室山に行くには、伊東駅か、伊豆急線の伊豆高原からバスに乗るのだが、せっかくなので、一番近い駅である伊豆急富戸駅で降りて歩いて行った。

しかし、駅から大室山まで傾斜がきつくかなり歩くのに苦戦した。しかもシャボテン公園という動物園を普通の都市公園と勘違いして入り込んで駐車場で不審人物と見られていたに違いない。
伊豆というのは私設博物館が多いところである。要はブルジョア趣味人が自分の好き勝手に博物館をやっている。
とりあえず、大室山に登ってみた景色である。

サンハトヤを探せ

丹沢が南アルプスに見えるのは気のせいか。
しかし、最近寒い。

その後バスで伊東まで移動して、温泉に浸かり、グリーン車で帰ってきた。

ちゃんちゃん
| kawaramachi | Travel | 22:16 | comments(0) | - |
兵庫県南部地震
あの日から10年になる。

地震というものは止めることができない。
そして、それを利用して我々は暮らしているし、その被害も受ける。

狭い土地にひしめき合う住宅。助け合えない隣近所。流れる流言、策定できなかった防災計画。十分な情報もなく逃げまどう人々。

今振り替えれば、関西で地震がないと断言していたあの頃の人たちが無性に愚かに感じてしまう。

目の前にある、山、川、水。それらがすべて地震活動が遠因で生み出されているものであるという事実を見ないで、都合の良いように解釈してきた私たちに天からの罰が与えられたように感じてしまう。

自分たちの足下にある自然はいったい何が作ったのかを考えれば、今自分たちが営むべき生活とはいかなるものかがきっとわかるはず。

遠いときか近いときかはわからなくとも、1日1日近づく、日本全国を灰で埋め尽くすだろう噴火災害、日本列島を今も形作っている地震活動、降雨、浸食、堆積活動。恩恵を受けることもあれば、被害を受けることもある。

噴火活動は嫌いといいながら、必死になって温泉を探し当てようとする人間。

都合のいいところだけ取りがちであるが、必ずしもそればかりでないことを私たちは今一度振り返る必要があるのではないだろうか?

ここに1つの決意をして、今後世の中の人の災害に対する関心が薄れないことを祈るのみです。

薄れたときに待っているのは、”絶望”であるのだから


震災当日のかわらさんのブログ
| kawaramachi | Daily Life | 17:46 | comments(0) | - |